2007年12月12日

宗教は便利だ

 ハマれるもんならハマりたい。


 「メイド喫茶ちょっと行ってみたいよな」と友人達が言うので、
秋葉原のメイド喫茶に行ったのですが、やはり凄かったのです。
店が?いえいえ違います。客が。全体的に凄い。
特徴を列挙するとこんな感じ。

■全体的に全身黒っぽい色の服に身を包んでいる人間ばかり
(残念ながら当日の我々もそうだったので複雑な気持ちになった)
■カップルがテーブルに膨大な量の遊戯王カードを並べている
■一人で来ているオッサン。向かい側の席には女の子の人形が鎮座。
(一人で来ているように見えていたが本人的には二人で来ているのに違いない)
■唯一まだまともに見えていた一人のオッサン
 店内に自分のお気に入りのアニソンらしき曲が流れ始めた途端に
 小声で口ずさみながら全身で軽快なリズムを刻み始める
(デフテック的な軽快さ)

 しかしながら完全にアウェイなわけで、むしろ実際は我々の方が浮いているという事実。
半ば上目線で、人間観察目当てでこういった場所に面白半分行くわけですから、
とことん底意地が悪い。野暮なのです。つっこむこと自体が野暮なのです。
しかし野暮を承知でつっこまずにはいられない。
人形って!人形と二人で来てるってオイ!日常に潜む狂気!


 しかしこの出来事をきっかけに、最近よく考えていたことをまた思い出しました。
自分の世界に入ってしまえるほど信仰できる対象があるのは幸せなことだ、ということ。
他人からの見え方がどうであれ、本人は幸せなのですから、きっとそれでいいのです。
手に入る範囲のもので自らの欲求が全て完結するのですから羨ましい。
批判とかそういうのなしでガチに。


 拡大した話になりますが、宗教なんかはその信仰の最たるものでしょう。
確固たるものとして「正しい」という指標があるわけですから、
一生それを信じていれば間違いはないし、悩むこともない。
ハマれるような人間に生まれた方が幸せだったのかな、などと考えてしまいます。
間違いなく正しい!なんて方向がイマイチ分からず、死ぬまで悩み続ける人間は、
見方によっては不幸です。どこまでいっても完全な満足なんてあり得ないから。
でもその「死ぬまでの過程」が面白いから続けるんでしょうけど。

 よく特定のものを好きで好きで仕方ない人のことを信者、なんて言ったりしますが、
まったくうまいこと言ったものです。諸手上げで好きなものを支持してしまう思考の停止ぶり。
自分にもそういう対象って結構ある。
さらに度合いが強い場合、自分の好きなものを貶されただけで、
烈火の如く怒り狂う。アラーを貶されたイスラム教信者の過激派と何も変わらない。
人の好きなものや信仰の対象を貶さずにみんな仲良く認め合うとか、
そんなの出来ないように人間は生まれてしまったんだろうか、
などと邪推してしまいます。


 ねずみ講とか悪徳商法にハマる人達も同じで、自分達の中で
「これが幸せを得る方法だ」と信じきってしまっているから、
平気で周りの人間を巻き込む真似が出来てしまうのだと思います。
こんなに幸せな良い方法があるんだから是非知ってもらいたい、
なんて100%善意でやってるつもりの人が大半でしょう。
だからこそハマれない人間からするとタチが悪いとも言えます。


 宗教は弱い人間達の最後の救済処置機関なんだな、きっと。
人間がいる限りは自然発生するし、絶対になくなったりはしないものなんでしょう。
像とか作って神サンを奉りだした太古から、人間は根本的には何にも変わらない。
人間みんな弱っちいなあ、と思う今日この頃。

 自分のような俺が俺が、のオレサマ人間だと、信仰の対象というか「正しい」
の指標は自分しかありえないので、ハマってる人がやっぱり異常に見えちゃう。
ハマらないだろうなあ。きっとそういう人をバカにし続けちゃう。
しかしながら人間100%なんてないから、絶対とは言い切れないのがまた怖い。


 ドールという偶像を崇拝していたオッサンは、そこにどんな神様を見ていたのか…
幸せそうな表情でした。それを見た我々は複雑な表情を浮かべていました。
posted by B野 at 22:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宗教にハマルとかその辺りは日本人らしい意見ですよね。
彼らにとって見れば宗教にハマルとかそんなの考えたことないのでしょうね。
私も秋葉原のメイド喫茶には一度入ったことがありますよ、何だか新しい世界が見れますよね? 楽しかったのを覚えています。
『オススメは?』とメイドさんに聞くと『えっと・・・ あの・・』って感じでオドオドしてたのでこれってサービスなのかな? 等と考えてしまいました。
Posted by アキーラ at 2007年12月13日 01:56
>アキーラさん
 「萌えですなあ」って言ったら、
「違います、萌え、キュンキュンです☆」
と返されるっていう文化です。外国みたいだ。

 宗教って「想像する」能力が人間に携わっている限りは自然発生するものなんでしょうね。
よどみがないから折れないし。きわめて強靭な力。
そんな人達がもし、政府の転覆を企てたりすれば大変な脅威です。
なんかリベリオンとかもそんな話だったなあ。
朝廷とかそんなんがあった時代でも、僧兵なんかが不安要素だったみたいですし、
幕府の時代でもキリスト教弾圧をしようとしたり、世界中でも度々宗教戦争は起こってますね。むしろ太古から今もずっと…

 人間は弱い生き物ですけど、備わっている信じる力というのは逆境も跳ね返してくれるし、
時には病気すらも治癒させてしまう妙な強さがある。バカにならないもんです。
好きな女優とかアイドルの写真見てても多幸感に包まれたり、
アニメとか特撮を観てカッコエエ!ってテンション上がるわけで、
宗教でなくてもそういう対象って何かしら人間にとって必要なんでしょうね。
僕らが何かを作りたい、と強く願うのも、信仰とさして変わりないって気もします。
芸術は太古から信仰や宗教と密接な繋がりをもって栄えてきたみたいですし。

 どちらにせよ社会にとって正しく心地良く作用するものであって欲しいですね。
Posted by B野 at 2007年12月13日 20:45
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